2009年2月 9日

下郡賃貸保証人の思ったこと書物としての紙の伝来

書物としての紙の伝来について考えました


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製紙技術の伝来以前に、むろん紙そのものは書物として伝来された。

『古事記』によれば、応神天皇16年(285年)に、百済の王仁が『論語』10巻と『千字文』1巻を将来したのが、日本における書物の初伝とされるが、『千字文』の作者は、応神天皇より100年後の人物であるので、考証学上は誤りである。考証学的には、4世紀から5世紀には伝来したものと推定される。


紙の国産化 -奈良時代-

図書寮の設置
製紙技術の伝来から100年程経過してから、本格的な紙の国産化が始まった。『正倉院文書』によれば、天平9年(737年)には、美作、出雲、播磨、美濃、越などで紙漉が始まった。

『大宝律令』によって国史(『古事記』『日本書紀』)や各地の『風土記』の編纂のために図書寮が設置され、紙の製造と紙の調達も管掌した。

図書寮では34人の定員の内、写書手は20人、紙漉きを行う造紙手は4人いた。更に図書寮の下に、山城国に「紙戸」と呼ばれる50戸の平民の紙漉き専業家を置き、年間の造紙量を二万張と規定し、租税を免除して官用の紙を漉かせた。この他にも各地で紙を漉かせ、これを「調」として徴収した。

天平11年(739年)には、写経司が設置され、写経事業のために紙の需要が拡大した。『図書寮解』の宝亀5年(774年)の項によると、紙の産地として、美作、播磨、出雲、筑紫、伊賀、上総、武蔵、美濃、信濃、上野、下野、越前、越中、越後、佐渡、丹後、長門、紀伊、近江が挙げられている。

しかし、この時代には、紙はまだまだ数が少ない高級品で、日常的に使用されることはなく、一般的な用途には安価で丈夫な木簡が使用されていた。また、一度使われた紙の中にはその裏面を再利用して別の筆記に用いる例も存在した(紙背文書)。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』